ただいまです2007/08/03 12:01

puka-puka

昨日帰ってまいりました。

台風が迫っていたので、少し予定を早めて午後6時頃の帰宅。 四国では、昼前から雨や風が強まり始めていたのだけれど、こちらに帰って来ると全然そんな雰囲気でなく、ただただ蒸し暑くて重たい空気が澱んでいるだけだったので、拍子抜けすると同時にウンザリしてしまいました。

祖母が住む愛媛県新居浜市は、かつて別子銅山(住友財閥の基礎となった)で栄えた都市であったが、今は銅山も閉山し、他の主要産業も無く寂れる一方ではあるけれど、愛媛県の中ではまずまずの規模の街である。 それでもまだ市内にそこそこの面積の水田が残っているので、かなり涼しく感じられる。 夜は扇風機ひとつで実に快適に暮らせる。

20年位前まで我が家の近辺にも田んぼが少し残っていて、夜に耐え切れないほどの蒸し暑さを感じることは殆ど無かったと思う。(若かったのもあるかも知れないけど) 田んぼが無くなり、マンションが建ち、駐車場が出来、風が抜けなくなって、空気が澱み、暑気で倦んでいくのです。 仕方が無いので、ビール(もどき)をがぶがぶ飲んでいます。 何とかならんものですかねぇ。

二時間六十円也の思い出2007/08/03 22:50

祖母宅に滞在中の話。

午後からの半日、ぽっかりと予定が空いたので近くの市民プールに行った。 ここは小・中学生の頃よく通った所で、浅い幼児用と、流れと滑り台のある小人及びファミリー用、それに水深のある競技用の50メートルプールがあって、料金は大人2時間60円、小学生以下はなんと10円の格安である。 気だるい午後の時間をプールサイドでビールを飲みつつ読書で過ごし、飽きたらプールに飛び込んで火照ったからだと頭を冷やすという完全リゾートを夢想しつつ、近所のドラッグストアでビールを買い込み、ズタ袋の中にタオルや着替えやスポーツドリンクのボトルと共に開高健の「日本人の遊び場」(光文社文庫)を突っ込み、いそいそと出かけて行った。 いざ、「偉大なる休暇」へ

四半世紀ぶりに訪れた懐かしのプールは、私の記憶の中のそれと寸分も違わずに見えた。 いや、当時とはどこか変わっているのかも知れないが、老朽化した施設がまるで「全然変わっていません!」というが如く存在して、私に全く気づかせない。 とにかく懐かしさという感慨に耽りつつ、ぐるっと敷地内を一周してから小学生以下立ち入り禁止の50メートルプールの端に行き、パイプチェアに腰を下ろした。 ズタ袋から文庫本を取り出し、気持ちの良い読書のスタート。 時折、元気な中・高生が来てはしゃいでいくが、それ以外は静かである。 開高健が昭和30年代の日本人のレジャーをルポしたこの本は、まるで時が止まったかの如く感じられるこのプールサイドにぴったり。 ぐいぐい言葉の力に引き寄せられて、熱中してしまう。 喉が渇いたので早速ビールをと思ったのだけれど、鋭い視線を周囲から感じて、手を止める。 プール監視員のお爺さん達(老人会のボランティアかシルバー人材センターからの派遣であろう)が、一斉に私のほうを見つめているではないか。 それもそのはず。 見慣れぬ髭面の男がたった一人で来て、泳ぎもせず、プールサイドでいきなり読書に耽っているのであるから、不審に思うのは当然であり、注目されるのも無理無い事である。 ここでトラブルになるのは嫌なので、諦めてスポーツドリンクのボトルに手を伸ばし、グッとあおって立ち上がり、プールに恐る恐る足を突っ込んだ。 アレ、記憶と違う! 以前、このプールの水は井戸水を直接張っていて大変冷たく、炎天下でも数分間浸かっているだけで震え上がってしまう程だったのだが、今、足先から感じる水温は水道水のそれであり、さして冷たくは無い。 期待はずれで嬉しいような、寂しいような・・・ 肩から、頭から一度ズップリと水中に潜ってから、クロールで静かに泳ぎだしつつ「こんな見えへんとこ、ヤッパリ変わってるんやなぁ」と、妙な気分になってしまった。 それから読書→スポーツドリンク→泳ぎを数回繰り返し、僅か2時間ではあるけれど私の「偉大なる休暇」は終了した。 さぁ、外に出て、ビールを飲もう! 少しぬるくなってしまったけど。

二時間六十円也の四半世紀前の思い出は、妙ではあるが新しい思い出に更新されました。

また来年、更新しに来たいなぁ。

アキバ系2007/08/12 11:15

Text Mode City

あっっっっ・・・・・・・・・・・ついですねぇぇぇぇぇぇ。 脳ミソが醗酵しています。

昨日、高校からの腐れ縁である旧友が、東京からやってきた。 彼はミュージシャンであると同時にアキバ系アイドルのプロデュースやバックアップ等も手がけていて、今回はそっちの方の仕事で来阪したらしい。 大阪・日本橋の、その手の同人雑誌なんかを扱う書店でのインストア・イベント会場に、彼を訪ねた。

会場は男達の図太い喚声と得体の知れないパワーで埋め尽くされていた。 殆どが20代後半から30代位の年齢層の男達だ。 その中で彼はイベントの進行を片目で睨みながらPA(音響操作)をやりつつ、ちょっと引き気味の私の相手をしてくれました。

彼の話によると、会場の男達の半数近くは東京からの追っかけ組だそうである。 この連中は、明日の開催地である名古屋にもついていくらしい。 感心させられてしまう程のパワーとエネルギーである。

一月の半分以上を秋葉原にいて、この関連の仕事もこなすわが友。 コミック、アニメ、音楽、映像、イベント・・・ 「2.5次元的なアイドル」という朝日新聞のコラムで表現されたアキバ系アイドルをとりまくこのパワーとエネルギー、日本の産業の枠組みの中にしっかりと組み込まれているんだと実感しました。

イベント終了後、なんばパークスのカフェで近況や思い出話をひとしきりしてから、旧い友とは別れた。

日本橋の裏通りを歩きながら、ふと周りを見渡すと、何だか私の知っていた日本橋ではないアジアの別の場所のような錯覚を起こしてしまった。 ヤッパリ暑すぎるのだ。 ビールでも飲んで、正気に戻る・・・わけないですね。

釣師と写真師は助平である2007/08/13 22:58

突然のイカガワシイ話題で、ついに、なかむりゃあもこの暑さで脳ミソ溶けたんちゃうかと思われた方、正解です。 等と言わせるのも、扇風機の生暖かいトロトロとした風の中で、このブログを書いている所為かもしれません。

暑い・・・(汗、汗、汗、汗、タオル、汗、汗疹、ポリポリ、タオル)。

えー、気を取り直して改めましてタイトルのお話へ。 私が所属するモノクロ普及委員会(MFI)の会員で、兵庫県西端にお住まいの自称26歳の才媛がいてはるんですが、ご自身のブログサイトのコメント欄で私が

「写真やってる人は皆エロやて」

と力説したことになっているのですが、正しくは上記タイトルの如くであります。 ホンなら、彼女のサイトに何故コメントを投稿しないのか? サイン・アップ、サイン・インが面倒だからという理由が本当のところであります。 ゴメンナサイ。 涼しくなったら、ちゃんとします。

ちなみに件の自称26歳女史のブログサイトはこちら↓

http://mzh0319.spaces.live.com/

話題を本筋に戻して、釣師と写真師は何故助平なのか? 釣師というのは、助平な人間が異性の服の中身まで想像してしまうが如く、どんな水溜りを見てもその水中を想像し、そこに棲んでいそうな魚を思い描き、仕掛けやエサを考え、釣果を妄想するという習性をもっている魚助平であると、作家でカヌーイストの野田知佑氏が著書の中で語っておられた。 この文章の中の「水溜り」「水中」「魚」「仕掛け」「エサ」「釣果」という言葉を「光景」「被写体」「イメージ」「機材」「メディア」「プリント」なんて言葉に置き換えてみると解って頂けるかと思います。 (他のバージョン可)

では助平とエロは違うんか? 私は違うと思っています。 助平は性癖でエロは観念・イメージに近い言葉だと思っております。 ですから「写真をやっている人は皆エロ」というのも勿論アリなのですが、「写真師は助平」というのはもう少し生臭い、実態に即した意見であります。

と、言うことはMFIは写真助平が集う助平団体なのか? う~む、エロいなぁ~。